グランドセイコーの「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ」出展が証す世界で認められたという画期的な意義
ウォッチジャーナリスト渋谷ヤスヒトの役に立つ!? 時計業界雑談通信
2022年3月、「グランドセイコー(Grand Seiko)」が、スイスの高級時計ブランドだけが参加・出展できる「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ(略称WWG)2022」に出展する。あまり深くは語られないこの出展の「画期的な意義」について、独自の視点で改めて解説したい。
渋谷ヤスヒト:文 Text by Yasuhito Shibuya(2021年12月23日掲載記事)初代グランドセイコー(左)と2021年「ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ」で「メンズウォッチ」部門賞を獲得した「グランドセイコー ヘリテージコレクション SLGH005」。半世紀の時を超えて、開発者の夢が実現! ついに“世界の時計”になった「グランドセイコー」
2022年3月に開催予定の「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ 2022」。今や唯一無二の高級時計の祭典に「グランドセイコー」が出展する。
これは日本の時計にとって、歴史的な大事件だ。
筆者は1990年代半ばから一貫してセイコーを取材してきた。セイコーの腕時計や技術、デザイン、またスイスのクロノメーターコンクールへの挑戦、1964年の東京オリンピックにおける計時機器の開発などの取材を行い、その記事を1冊にまとめた『THE SEIKO BOOK(ザ・セイコー・ブック)』(1998年・德閒書店刊・絶版)の担当編集者であり、一部の執筆者でもある。
そのため、このニュースには特別な感慨がある。また時計を愛する『クロノス日本版』の読者や時計業界の関係者にぜひお伝えしておきたいこともある。
いささか長いが、年末のこの機会に述べておきたい。
グランドセイコーのWWG出展。第2次世界大戦後の日本の時計史でこれに匹敵する大事件は、筆者の私見ではふたつしかない。
1960年代末のスイス天文台コンクールには、当時、セイコーの時計製造を担当していた第二精工舎(現セイコーウオッチ)と諏訪精工舎(現セイコーエプソン)がそれぞれ参加した。第二精工舎が1967年に出品し、第1位を獲得したムーブメント(左下)と、表彰状の縮小コピー(右)。ひとつは、1960年代末にセイコーがスイスのヌーシャテルとジュネーブ、ふたつの天文台クロノメーターコンクールを席巻し、このコンクールを事実上、終焉に追い込んだこと。
そしてもうひとつが、1969年に世界で初めて販売され、今では日本の科学技術遺産になっており、スイスのラ・ショー・ド・フォン国際時計博物館にも展示されているクォーツ腕時計「セイコー クオーツアストロン 35SQ」が象徴する、クォーツ時計の基本技術の開発と確立だ。
世界で初めて販売されたクォーツ時計「セイコー クオーツアストロン 35SQ」。このモデルが、1970年代の「クォーツ革命」のさきがけとなった。宿願だった、ラグジュアリーの世界への挑戦
グランドセイコーのWWG2022への出展は、このふたつの事件と並び立つ大事件だ。これがいかに画期的なことか、ひとりでも多くの人にその意味と価値を理解してほしいと思う。
今回の出展の最大の意義。それは「グランドセイコー」が、このフェアに出展しているスイスやドイツの名門時計ブランドと変わらぬ価値のある、真のラグジュアリーウォッチブランドとして認められたことだ。
1990年代から現在まで、この30年で日本と日本企業の地位や存在感は下がる一方だ。得意とされてきた「モノづくり」でも、残念ながら特に多くの分野でアジアの他の国に追い抜かれている。ファッションの世界における「ユニクロ」のような成功例はあるが、日本のモノづくりブランドは没落し、ハイテク機器はもちろん、他のモノづくりでも連戦連敗。そんな今、日本人があまり得意とは言えないラグジュアリービジネスでのこの「成功」は、本当に画期的なことなのだ。
「グランドセイコー」の初代モデルが誕生したのは1960年。そして、日本最高峰の時計ブラントとして世界展開が始まったのは2010年。つまり誕生から半世紀は、ずっと国内専用のブランドであった。
だが半世紀前に初代「グランドセイコー」を作った人々は、明らかに「本物のラグジュアリー」を目指していた。「グランド」つまり「偉大な」というネーミングにはいくつもの熱い想いが秘められていた。
当時、人々の憧れだったスイス時計に負けない精度と信頼性、美しさ。それを凌駕したいという野心。さらに、自分たちにはそれができるという確固たる自信を、彼らは当時すでに持っていたのだ。
つまり「グランドセイコー」は、最初から「世界に通用する日本の最高峰の腕時計ブランド」として誕生したのである。
これは1996年から97年にかけて筆者が『THE SEIKO BOOK』の取材で、初代モデルの企画・開発・デザインを担当した当時のスタッフの方々、つまりOB、OGのみなさんを取材して、彼らからじかに確認した話だ。
これを裏付ける客観的な「証拠」もある。それは当時刊行されていた伝説の時計業界誌『国際時計通信』に掲載された初代グランドセイコーの広告だ。そこには「日本の時計から、世界の時計へ」という、控えめだが自信に満ちたコピーが書かれている。
このあたりの詳細は、絶版で恐縮だが前述した『THE SEIKO BOOK』で時計ジャーナリストの名畑政治さんが執筆された「グランドセイコー」の章に収録されているので、さらに詳しく知りたい方はそちらを参照されたい。
「これまでグランドセイコーは実用時計だと言われてきた。だとすれば、世界最高峰という目標は精度に関してのことでは? グランドセイコーをラグジュアリーウォッチと呼ぶことには、どうしても違和感を覚える」
昔からの時計ファンには、そんな方もいらっしゃるようだ。
確かに「グランドセイコーは実用時計である」という表現は、グランドセイコーが復活した1988年から2010年の少し前まで、つまり海外展開が決定される前には、プレスリリース等でよく使われてきた。しかし、この表現は「宝飾時計ではない」という意味で使われたと筆者は考えている。
従来「ラグジュアリー」という言葉は、日本語では「豪奢」や「贅沢」と訳されてきた。その意味では「グランドセイコー」は「贅沢な宝飾時計」ではない。だから、ラグジュアリーウォッチではないと言える。
しかし「ラグジュアリー」の定義は、21世紀に入って大きく変化している。今、ラグジュアリーブランドのクリエイティブディレクターたちは、環境保護や社会的な公正さの視点から、このイメージから脱却しようとしている。「新しいラグジュアリー」の世界を作ろうとしているのだ。そして、その核となるのが「本質」や「原点」という概念だ。
そして時計の本質、原点を追求する「グランドセイコー」は、まさにこの「新しいラグジュアリー」を体現する時計だ。
また、この「実用時計」という表現の背景には、スイス時計をお手本にスタートした日本の時計メーカーに特有とも言える、スイス製の高級時計に対する根強いコンプレックス的な感情も、失礼ながら窺える。この言葉を聞くたびに筆者は「スイス時計と同列の比較を避けるための予防線のようだ」と感じてきた。だが「グランドセイコー」のアメリカでの成功が何よりも証明するように、今やコンプレックスを抱く必要はまったくない。
今回のグランドセイコーのWWG2022初出展は、このコンプレックスを完全に解消する絶好の機会になると思う。外部から見ると不思議なこの「劣等感」を捨て去ることで、グランドセイコー、さらに日本の時計作りは新たな次元に羽ばたくことができるはずだ。