トリノにフィアット「チンクエチェントの家」オープン、巨大屋上庭園も…元工場再開発
ステランティス・グループのフィアット・ブランドは2021年9月22日、伊トリノ市に新施設「カーザ・チンクエチェント(Casa 500)」および「ピスタ・チンクエチェント(La Pista500)」をオープンした。
あの屋上テストコースが変身
イタリア語で「(フィアット)500の家」を意味する「カーザ・チンクエチェント」は、昨2020年7月先行ウェブ公開されていたヴァーチャル版に続く公開である。
旧フィアット・リンゴット工場再開発ビルにある「ピナコテカ・アニェッリ(アニェッリ絵画館)」のワンフロア約700平方mを使用。第二次世界大戦後におけるモータリゼーションの牽引役となった1957年型、21世紀のチンクエチェントとして登場した2007年型、そして2020年のEV版「500e(もしくはヌオーヴァ500/500エレットリカ)」という、3世代の『500』を8テーマに分けて紹介している。
展示室の中心には、1956年に製作され、従来FCAヘリティッジ部門が保管していた開発用木製モックアップが据えられている。例として「ザ・レガシー」では、フィアット500の産業・文化遺産的価値に焦点を当てる。「メイド・オブ・イタリー」では、リチャード・ザッパー/マルコ・ザヌーゾによるアルティミデ製ランプ、エットーレ・ソットサスによるオリベッティ製タイプライターなど、歴代イタリア工業デザイン製品とともに、フィアット500がカーデザインの常識を覆し、人々の認識を変えたことをアピールしている。
ビデオアーカイヴのなかで、2007年型500のデザインを担当したロベルト・ジョリート(現FCAヘリティッジ代表)は、ハッセルブラッド製カメラや家庭用エスプレッソ・コーヒー沸かし「モカ」を手にとり、それが人々のライフスタイルを変えたように、1957年の500もイタリア人の生活に変化をもたらしたことを示唆している。同時に、2代目・3代目のデザインが単なる懐古趣味ではなく、常に進化とより良い生活スタイルを求めた結果であることを強調している。カーザ・チンクエチェント
歴史ゾーンにはインタビュー、広告、イベント、受賞歴など、歴代フィアット500にまつわるさまざまな動画コンテンツを閲覧できる。スケッチや画像のコレクションは、デザインの進化と、フィアットが3世代の500に託した軌跡を辿ることができる。
リンゴット・ビルの屋上ヘリポートを使用して行われた発表会場には、フィアットのオリヴィエ・フランソワCEO、アニェッリ絵画館のジネヴラ・エルカン会長、ステランティスのジョン・エルカン会長に加え、ロックバンド「U2」のボーカリスト、ボノも出席。企業の販売収益の一部を社会慈善活動に役立てる財団「レッド」の共同設立者でもあるボノは、今回のフィアットの施設を「セクシーかつスマートな計画」と評した。そうした彼のレッド活動に貢献すべくフィアットは同日、500eをベースに車体色やシート、アクセレレーション・ペダルなどに赤を使用した新仕様「ヌウォーヴァ(500)RED」を発表した。イタリア国内価格は2万2800ユーロ。左からフィアットCEO兼ステランティスCMOのオリヴィエ・フランソワ、アニェッリ絵画館のジネヴラ・エルカン会長、シンガーで(RED)の共同創設者のボノ、(RED)社長兼CEOのジェニファー・ロティート、ステランティスのジョン・エルカン会長、ラポ・エルカン。
もうひとつの新施設、「ラ・ピスタ・チンクエチェント(500コース)」は、旧リンゴット工場再開発ビルの屋上に残っていた旧テストコースに約4万本の植物を植樹、2万7000平方m・総延長1kmにおよぶ屋上庭園として開放したものである。プロジェクトには、2004年に木で覆ったミラノのタワーマンション「ボスコ・ヴェルティカーレ(垂直の森)」で話題を呼んだイタリア人建築家ステファノ・ボエリが参画した。
ユニークな自動車工場として
リンゴット工場は、フィアット創業17年目の1916年に建設が開始された。当時はまだ南郊の田園地帯だった。地上5階、長手方向の全長は500mで、設計はイタリア人建築家ジャコモ・マッテ=トゥルッコが担当した。6年後の1922年に完工。翌1923年5月に旧イタリア王国第3代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ三世も臨席して落成式が行われている。フィアット500Fとフィアット・リンゴット工場
1フロアごとに工程を分け、完成後に総延長約1kmの屋上テストコースで走行試験を行ったあと、スロープをつたって下ろすという、世界的にもユニークな自動車工場だった。建物脇には積み出し用の鉄道基地も備えていた。
近代建築三大巨匠のひとり、ル・コルビュジエは、第二次世界大戦前から戦後にかけて複数回にわたってリンゴット工場を訪問。当時ヨーロッパ最大級だったこの建築物を絶賛している。1932年にはムッソリーニが訪問し、離れである本部棟のバルコニーで演説を行っている。いっぽうで第二次大戦前中の1942年には連合軍による爆撃を受け、一部が破壊された。
イタリア在住の筆者もこれまでに、たびたびこの旧リンゴット工場と旧屋上テストコースを訪れているが、そこに立つたび壮大な建築物に度肝を抜かれてきた。トリノ名物ともいえる濃霧の日には、建物の一端から反対側が見えないことさえあった。
1969年のアメリカ・イギリス合作映画『ミニミニ大作戦(原題: The Italian Job)』では、3台のオリジナル『Mini』が警察車両のアルファロメオ『ジュリアTI』に追われるシーンで登場する。1982年の操業終了までに、リンゴットで生産された車両は80モデルにのぼる。最後に生産されたのは初代ランチア『デルタ』であった。フィアット・リンゴット工場のランチア・デルタ生産ライン(1982年)
その後リンゴット工場ビルは解体される代わりに、再開発計画が進められることになった。建築家レンツォ・ピアノが指名され、1990年代後半にはショッピングモールやシネマ・コンプレックス、オフィス、ホテル、さらにフィアットの株主総会会場としても使われてきた演奏会場「ジョヴァンニ・アニェッリ・ホール」を包括する商業・文化施設へと生まれ変わった。屋上にはヘリポート付きガラス状ドーム状会議室や、フィアット創業家であるアニェッリ家の美術コレクションを収蔵するため前述の絵画館が、同じくピアノによって設計され、設置された。
しかしフィアットは2002年の経営危機を機会に、隣接する旧航空機工場(フィアット・アヴィオ)とともにリンゴットを不動産企業IPI社に売却。同社の手で、複合施設の開発と運営は続けられた。当初、トリノ旧市街から徒歩圏ではないことから客足は伸びなかったが、2006年トリノ冬季五輪に組織委員会事務局が置かれたのと前後してテナントが増加。それに合わせて人気スポットとなった。2010年にはトリノ初の地下鉄がリンゴットまで延伸したことで、さらに賑わいを増した。続いてトリノ工科大学の機械工学科も入居した。
従来、屋上の元テストコースは、自動車愛好家イベントや新型車発表会、さらに一時は、入居するホテルのゲスト用ジョギングコースに至るまで、さまざまな用途に用いられてきた。だが半恒久的施設としては、今回のピスタ・チンクチェントが事実上、再開発後初のプロジェクトとなる。
トリノの地元紙によると、当初の改装計画ではフィアット500eのプロモーション用だったが、「トリノをはじめ地域社会全体のために、永遠に残る作品に再投資することを決定した」と、ステランティスのチーフ・マーケティング・オフィサー(CMO)兼フィアット・ブランドCEOであるオリヴィエ・フランソワは語っている。
Casa 500 & La Pista 500トリノ地下鉄1号線Lingotto駅前Via Nizza 230 Torino, Italy