愛知から広島へ。スパ・フランコルシャンまでの歩み|R100スパ・クラシックレース参戦リポート(イベントふりかえり)

2015年7月 愛知 吸排気系をシールし電気系統もビニールで覆うなど送り出し準備を行ったのは、現地スパでもメンテナンスを担当するREスギヤマ。トレーラーに積み込まれた2台は、広島を経てベルギーのアントワープへ向かった。

愛知から広島へ。スパ・フランコルシャンまでの歩み|R100スパ・クラシックレース参戦リポート(イベントふりかえり)

加藤さんの「スパ・ドリーム」実現にあたって大きなサポートを行ったマツダ。そのマツダとの橋渡し役となったのが、マツダのクルマ造りやモータースポーツ活動の情報を配信するウェブサイトを主宰するエムゼットレーシング代表の三浦正人さん。そこで、ここからは時計を巻き戻して、スパまでの道のりを三浦さんに語ってもらうこととしよう。【画像61枚】夢にまで見たスパ・フランコルシャンの地に立った加藤さんなど【R100スパ・クラシックレース参戦リポート(イベントふりかえり)】 加藤仁さんに初めてお目にかかったのは、2012年の鈴鹿サーキット50周年イベントの時だった。1970年式ファミリア(輸出名R100)ロータリークーペが回転を上げて走る姿を見て心が躍った。いささかも遠慮なく全開で回っていたのが特に印象的だった。しかもオーバーフェンダー付きのレース仕様であり、リバリーは1970年のスパ24時間に挑戦したワークスカーと同じ33号車仕様にしてある。走行時間後にピットを訪ねると、「僕は、若いころファミリア・ロータリークーペがスパ・フランコルシャン24時間レースで大活躍したビデオニュースを見て、えらく感動したんです。だからこうしてファミリアを手に入れて、いつかスパに行こうと思っているんですよ」と加藤さんは顔をほころばせた。私は、マツダ・ロータリー車を愛している人を集めたイベントに招待したかっただけなのだが、加藤さんの吸い込まれるような「ひたむきな視線」が忘れられず、「いつかスパに」の思いに大いに興味を持つこととなった。 その後、加藤さんのガレージを訪れる機会を得た。名古屋にほど近い愛知県大府市にあるガレージのスライドドアをあけると、そこには鈴鹿で見たファミリア・ロータリークーペ、いやマツダR100・ロータリークーペ33号車が鎮座していた。ロータリーエンジンのオーバーホールも独学で学んだという加藤さんのガレージには、同車のスペアモノコックボディをはじめ、旋盤やグラインダーといった工機具のほか、おびただしい量のファミリア用パーツが整然と置かれていた。加藤さんは「ファミリア・ロータリーのパーツがあると聞くと、いてもたってもいられず買い付けに出かけちゃうんですよ。ローターなどのエンジンパーツはなかなか市場に出回らないですからね」と瞳を輝かせながら語ってくれた。 その後、ご自宅にお招きいただき、なぜファミリアに首ったけになったのか、当時のスパでの活躍がどれだけ凄かったかの熱弁を聞き、いよいよ挑戦の機が熟したと決意の言葉を聞いた瞬間、私もその場に立ち会いたい、と強く感じたのだ。2014年5月 愛 知 ファミリアが保管されている愛知県大府市のガレージ。工機具、牽引キャリア、スペアパーツのほか、シートのスペアファブリックやスペアボディも保管されている。休日になると、加藤さんはここにこもることも多いという。2014年6月 広 島 加藤さんは広島のマツダ本社を訪ね、役員や関係者と面談した。マツダミュージアムにはル・マン優勝車のマツダ787Bや過去のベストセラーカーなどが展示されているが、加藤さんの関心は、もちろんファミリア・ロータリークーペだけだ。2014年12月 岡 山 加藤さんは、マツダファンフェスタに参加。ファミリア(R100)ロータリークーペは全開走行を見せ、即レースに出場できるほどの仕上がりに観客はうなった。この時前田さんはのちの31号車(左写真中央)のステアリングを握っている。初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 12月号 vol.172(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

Nosweb 編集部

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