738th: The 40th anniversary of the holiday debut!Memories of "Mercedes -Benz 190E" that remain in the hearts of people [Macchina Her Moda!]

テープに穴があくほど

2022年はメルセデス・ベンツのW201型が誕生40周年を迎える。12の倍数ではないものの、年男ならぬ年グルマである。日本ではそのいちバージョンである「190E」が有名になったモデルだ。

W201は発表前から、世界の自動車雑誌にさまざまな予想イラストが出回った。その一部では、メルセデスの伝統的なラジエーターグリルやスリーポインテッドスターのマスコットが省略されていて、メルセデスファンをやきもきさせたものだった。そうした心配をよそに、1982年に発表された生産型は、上級モデルと同様にそれらがしっかりと備わっていた。

第738回:祝デビュー40周年! 人々の心に残る「メルセデス・ベンツ190E」の思い出 【マッキナ あらモーダ!】

W201のスペックおよび派生車種である高性能モデルについては、すでにさまざまなメディアで紹介されてきたから、ここではあえて繰り返さない。代わりに今回は東京とイタリアで、このモデルにリアルタイムで接してきた筆者の個人的述懐をお許しいただこう。

はじめに、今日でこそ広く普及しているメルセデス・ベンツであるが、190E発売前夜、それを所有している家庭は極めて少なかった。学校時代の同級生を思い出しても、会社経営者や開業医の家に限られていた。

当時、東京の高校生だった筆者が最初に見た190Eは、小学校の大先輩がいち早く買い求めた車両だった。ヤナセの子会社だったウエスタン自動車が輸入を開始する以前である。聞けば、青年会議所を通じて同社のオーナーと面識があった並行輸入業者のオートロマンから手に入れたものだった。今思えばヤナセから発売される前、そうした業者にとっては、それなりに顧客の関心を引く商品だったに違いない。

それはともかく、実際に乗せてもらって、従来型メルセデスと遜色ない内装のクオリティーに感激したのを覚えている。

本国での発表から2年後の1984年、ようやくウエスタン自動車によって「5ナンバーのメルセデス」として正規輸入がスタートし、ヤナセで販売が始まった。

筆者は放課後、ヤナセが都内のホテルで催した発表展示会を訪れた。帰路は(わざわざ閲覧用と保存用の2部確保した)カタログを、電車に揺られながら読みふけったものだ。

その後『カーグラフィックTV』で190E特集が放映されると、買ってもらったばかりのVHSビデオデッキで録画し、テープに穴があくほど視聴した。

無響室でノイズを計測中のW201。ディーゼル仕様の「190D」である。
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「Sクラス」(W126)を想起させるフォルムや空力を考慮したホイールキャップ、汚れが付着しても視認性が高いとされた凹凸付きテールランプなど、上位モデルと同じ意匠が各部に反映されていた。
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メーターまわり。写真は「190D」のもの。
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1990年~1993年の後期モデル「190E 1.8」。「Sクラス」と同様の樹脂製プレート(デザイナーの名にちなんで「サッコプレート」と呼ばれた)がサイドに付加された。
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メルセデス・ベンツ190E 2.5-16(1988年~1993年)
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W201のデザインを主導したダイムラー・ベンツ(当時)のデザインダイレクター、ブルーノ・サッコ。イタリア北東部ウーディネ出身である。
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W201はツーリングカーレースでも活躍した。1993年9月にベルリンで開催されたADAC AVUSレースにおける一幕。
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